2024/05/19世界の歴史的な解体 NO.2【大阪 解体業者 株式会社三輝工業】
日本の解体の歴史
こんにちは!大阪の解体業者である株式会社三輝工業のブログ担当です!
前回の歴史的な解体ではドイツのベルリンの壁をご紹介させていただきました。
今回は日本の解体の歴史をご紹介させていただきたいと思います!
contents【目次】
【大阪 解体業者】1.日本の解体の歴史
【大阪 解体業者】まとめ
1.日本の解体の歴史
140年程前までは基本的に解体工事は地域の仕事として近所の人々が共同で、
例えば「○○さんの家を建て替えをする」という話が出ると周りの人々が集まって解体を行っていたそうです。
城や宮殿のような大きな建造物に対しては建設を請け負ったとび職や大工職人も参加して解体を行っていました。
このように解体専門の業者はおらず建設する業務の一つとして、地域行事としていたそうです。
そして現在のように解体専門の解体工事業者が登場したのは明治に入ってからです。
ただし、その頃も解体工事を専門とするのではなく、解体で出た古材をリサイクルする為に解体を受けていたことが始まりでした。
さらに当初は木材が高価で不足していたことから古材のリサイクルは重要な仕事でした。
戦後になって現代のような解体工事の業者が現れる
戦争で焼け野原になってしまった都市部では、もはや古材としてリサイクルできるものはほとんど残っていませんでした。
そのため解体工事業者も解体工事に特化するようになり、徐々に現在のようなスタイルへと変化していきました。
・・・まとめ・・・
解体だけでなく全ての人や物に歴史があり、
失敗も成功も経験となりそれをまた誰かに繋げる。
そして少しずつ環境や社会がより良くなっていくのではないでしょうか(^^)
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